佐藤彦五郎。 土方歳三の姉を妻とし、土方歳三を、兄として、また父の様に支えていた、日野宿の大名主であった。 新選組を中枢を担った、近藤勇・土方歳三・沖田総司らが、日野での天然利心流の稽古の場としたのが、佐藤彦五郎の作った佐藤道場である。 彦五郎には、精神面・金銭面で、いつも試衛館を支えられ、道場に出稽古に行くことで多くの門人に出会うことも出来たのである。 その佐藤彦五郎の法要が、今日、日野の大昌寺にて行われた。
佐藤家の方はもちろん、土方家、宮川家、松本家、谷家のご子孫の方々が参加し、昭和の時代のご子孫の方々の繋がりだとか、新選組を盛り立てようと思った切欠など、どんな本でも伺い知れない秘話なども聴くことが出来、楽しいひと時を過ごした。

私も、来賓という形で紹介され、高いところから挨拶をさせてもらった。 日野に佐藤彦五郎がいる様に、江戸にも山田屋権兵衛在りと語った。 山田屋権兵衛もまた、市谷柳町には無くてはならない多きな蔵もちの豪商である。 権兵衛bは、近藤勇が養子として近藤家に入った時に、近藤家側の保証人になった人で、近藤周助に店舗貸しもしていた人です。 試衛館道場も、山田屋の蔵の裏手にあった。 道場があることで、山田屋にしても防犯の意味も持たせていたと推測される。 などと、細かい話はしなかったが、町興しも兼ねて、昨年より頑張ってきた様を簡潔に披露した。

パソコンも、調子を取り戻しつつあるので、そろそろホームページの更新を考えなければならない。 山田屋権兵衛の事を紹介するコーナーも設けてみようと思う。

法要、懇親会が終わり、一同解散。 天候は一転、暗い空から小粒の雨が落ちてきていた。 新選組流山隊の隊長と山南さん、他3名と共に隊長の車で史跡巡りをする事になった。

一番最初に訪れた先は「人形の鈴藤」さんだった。 江戸時代からの老舗で、当時、日野宿のまつりの事故で、家が半壊したことを、佐藤彦五郎さんが詫びを入れに来たという立派な史跡との事。 いきなりの訪問にも快く対応いただいた鈴木さんに感謝である。

続いて、斎藤一諾斎のゆかりの地を散策。 まずは、八王子市大塚の御手観音(清鏡寺)。 ここには斎藤一諾斎の顕彰碑がある。 碑の裏には林副重、井上隆治、柚木芳三郎など、自由民権運動にも関わり、地域の発展を志した人々の名もあった。 この場所は、寺子屋として斎藤が教えていたことがあるそうで、古い部分の材料が当時にタイムスリップさせる。
最後に、一行は保井寺に行った。 保井寺には斎藤一諾斎の墓がある。 「ほうせいじ」と読むんだそうで、読めんかった。 多分、すぐ忘れそうだ。

斎藤一諾斎は、浅草今戸の潮江院にて出家し、駒込吉祥寺の僧となり、潮江院〜慶養寺〜東地院〜全福寺と移り、甲陽鎮撫隊(新選組)が甲州へ訪れた時に入隊。 仙台で、松本捨助と共に降伏したそうである。 静岡で釈放後、多摩郡中野村(八王子市由木中野)に定住して生蘭学舎という学校を設立。 小谷田重助と共に教員を勤めた。 土方家や近藤家、佐藤家と深い交流があったそうである。

新選組に関わると、凄い沢山の情報が押し寄せて来る。 一生勉強しても、追いつきそうにない。 どこかで線を引かないと…などと車内で話していた。

場所を高幡不動に移し、池田屋で晩飯を食べ、日野駅で一行は解散したのである。

私は、新選組流山隊の車で家まで乗せてもらい、先ほど帰宅。 選挙速報を見る元気は、もはや残されていない。 風呂入ったら寝るだろう。 確実に…。 …。

人気Blogランキングに参加しています。
よろしかったらクリックをお願いします。
ranking_red